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総合整体院 コンフォート

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心身症3

その後彼女は平木医師のもとで心理面の治療を始めた。

最初、それは、一日三回、自律訓練をした結果、心身の状態の報告を週一回FAXでする事だった。

それに対して、平木医師からは、一日の中での痛みが変化するのは、心因である要因が大きいので、その痛みの中に身を浸すことが必要で、焦りは禁物であること等が指摘された。

当初、平木医師に彼女は、何かにつけ、「原因が心因であるとは思えない」との治療効果への不満や不安を訴えた。

それに対し彼は
不安というのはとらえ所がないものです。
不安は自分の頭の中で限りなく膨らんでいくものです。
それを和らげる方法は、不安の実態を直視するように心がける事から始まります。
痛みのまま、倦怠感のまま、それに浸りきるのです。
極端な言い方をすると「治るということを放棄する」「治ることをあきらめる」のです。
筋肉を鍛えるとか、がむしゃらに水泳するとか、すべて積極的に治そうと、焦れば焦るほど治りません。
と指摘した。

その後、「心因」を受け入れない彼女との、平行線で、かみ合わないやり取りが95年8月から5か月間続いた。

95年の後半、彼女の症状はじり貧状態で悪化して行った。
仕事をほとんど止め、自律訓練と漢方薬を飲む毎日は、終日痛みに耐え横たわるだけだった。

入院の話が進み、年明け早々から平木医師が副院長になる予定の南熱海温泉病院に2か月することになった。

96年1月29日1日目
私は激しい痛みで目が覚めた。
この日の痛みはことのほか激しかった。
とにかく痛いのですぐまたベッドに横になった。
平木医師から
「沢山の水を飲むように、2000ml以上飲めなかったときは点滴を2回しなければならない」
と言われ、10時から点滴が始まった。

私は腰中が噴火を始めたような、
近来にないほどの痛みに耐えながら腕を延ばしじっと耐えている。
再び診察に来た平木医師に彼女は
「気が変になりそう」
と訴えるも
「絶食療法の一つの症状で心配ない」
と答えた。
それから、絶食療法日誌を毎日就寝前にページ書くように言った。

その日の痛みを彼女は
「夜が更けるにつれて痛みはいよいよ激化して、じっと寝ていられなくなり、仰向けから左
を向き、うつ伏せになり、右を向き、また仰向けになり、5分おき位に体を動かせてはぐる
ぐる回っていた。眠るどころではない。今まで3年間痛みを抱えてきたわけだが、その中でこれほど猛烈に昼も夜も休みなく続いたことは初めてだった。私は長女を出産した、前夜の事を思い出いだした」

予定日を3週間過ぎ、陣痛が有ったのに胎児が全く降りてこなかった初産は最終的に帝王切開になったらしく、彼女は30年たったそのことをリアルに思い出したそうだ。

睡眠薬の注射を受けたにもかかららず彼女は一睡もできずに朝を迎えた。

翌朝彼女は平木医師に「これほどひどい療法とは思わなかった」と猛烈に抗議をした。
すると彼は「主訴の激化は必発」と言い。
「聞いてない」
と彼女が言うと
「絶食療法は厳しくて辛いものだ」
と平然としていた。

彼女は昨日の朝から続く苦痛をまたくどいほど彼に話、もうやめて帰ると言うつもりだったが、痛みの説明をしているうちに、スーッと波が引くようにその痛みが和らいできた。

「止めて帰る」という結論にたどり着く以前にすっかりその痛みは消えてしまった。

まるでそれを見透かしたように
「どうですか、療法を継続しますか、あなたが納得しなければ出来ない事ですから、どうぞご自分で決めて下さい」
と言った。

その晩も痛みがなく24時間痛みなく過ごせたのは近来にないことだった。

ところが31日三日目の朝から再び鈍痛がぶり返してきた。


一日3回平木医師が訪問、340分のカウンセリングが行われ、その時彼女が痛みがぶり返したこと

を訴えると

「痛みが来たらじーっと熱いお湯につかっているみたいに、痛いな^と思いながら耐えて

下さい。受けとめて逃げ出さないのですこうやって必ず治るのだと自分に言い気かさえて

下さい。あなたの頭の中には、私はもう元の元気な身体に戻れないのではないか、という間違った

情報がインプットされている。それを塗り替えるのです」

と彼は言った。

 

療法に入って、彼は聴く事から積極的に指導するように変わっていった。


「あなたの人格の中で夏樹静子が占めている割合はどれくらいですか?」


「子供が小さいころ5060、発症時は7080、今は限りなく0

と彼女が答えると


「夏樹静子をとりはぶいたとして生きていけますか?」


「身体が元気になれば生きていけます」

 

「椅子に腰かけることからどんなことを連想しますか?」


「書く事、会食、乗り物の旅行・・・」


「みんな仕事がらみですね」

 

彼女が

「そんなことばかりしていたので、すっかり筋肉が弱くなって」

と言うと、


「いろんな知識を持つあなたがなぜいつまでも筋肉弱化に固執しているのですかね。

水泳を勧めた整形外科医も今ではメンタルの問題とおっしゃっておられるのでしょう。

心因を認めると何か心理的に都合の悪いことでもありますか?」

 

「とんでもない、私は病名など何でもいいのです。ただ、病名のカオ、様相としてどうしても筋肉

弱化と感じられるのと、心因が思い当たらない。心身相関と言うのが今一つ納得できないのです」

 

「心因は必ずしも自分で納得できるものばかりではありません」

 

「性格的なことも有ります。私は心の病に落ち居るほど純粋でないと自覚しています。

たとえば文章一つ書くのにも、最善の表現が見つからなければ次善を探り、さっさと妥協して楽な

道を歩いてきたような気がします。何かにつけ、病気になるまで自分を追いつめるほど不器用でも

純粋でもないのです」

 

すると

「あなたは自分で考えていらっしゃる以上に完全主義者だと僕は思います」

と彼は苦笑した。

 

昼間の鈍痛が続いたまま夜の10時ごろわずかにまどろんだ次の瞬間、どんと腰の奥にパイプでも撃

ち込まれたような衝撃感で、彼女は目を覚ました。


それは、

「絶食初日の夜以上の、三年間の痛みの集大成のごとき桁違いの苦痛」

だそうで、彼女は睡眠薬の注射を頼むも、看護師からの平木医師の返事は

「痛みを受け止めて我慢してください」

だった。


再び一睡もできなかった彼女は

「今度こそこんな療法は中止て帰ると断固心に誓った」


翌朝訪問した平木医師のカルテには


訪室するなり恨めしそうな目つきでDrを見上げ、憤懣をぶつけるような早口で

Drは心理的に修飾された痛みと言ったが、眠っていて突然痛くなったのだから修飾等し

ている暇はない。子の痛みは本物だと思うと、騙されたみたいで腹だしかった」

 

平木医師は

「この療法の特徴として、商用が波状的に表れてくるのです。症状は自動的、条件反射的に

形成されるようになります。この条件付けを取り除く方法が、痛みをそのまま受けとめるこ

となのです」

 

不満を言う夏樹氏に

「それにしても治療者を攻撃するエネルギーは相当なものですね。エネルギーの強い人ほ

ど痛みに敏感だし、怒りと痛みには密接な関係がありますからね。そりゃあさぞかし痛いだ

ろうと思います」

 

そうこう、彼女が平木氏に、抗議を続けていると、またしても波が引くように痛みは消えて

いった。

 

平木医師曰く

「偶然ではありません、カタルシスが行われているのです」

 

再び穏やかな時間が訪れた。

「絶食初日と、三日目の激痛、二日目と四日目の静けさは驚くばかりに対象だった」

と彼女は書いている。


「一種不可解な経験が始まりつつあった」

とも・・・




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